10月のワークショップでお話しした茯茶の製法に、お寄せいただいた質問への答えと、今回あらたに茯茶の歴史を加えて、この記事にまとめました。
湖南黒茶と聞いてまず思い浮かぶのは安化黒茶かもしれません。天尖・貢尖・生尖の三尖、茯磚などの磚茶、千両茶などの花巻。同じ湖南黒茶でも、形と工程が違えば、役割も味も違ってきます。
西北の日常、辺銷(辺境の地域や国に売る)のイメージにもっとも重なるのが茯茶(茯磚茶)です。辺銷茶のなかで、日常のお茶として最も多く送られ、新疆・青海・甘粛などの食生活に深く入ったのは茯磚です。金花と呼ばれる黄色い粒と、菌香。お茶研究家・松下智先生が「古代シルクロードの神秘の茶」「西北各民族の生命の茶」と評したのも、この結びつきの強さによるところが大きいです。一方、花巻の代表である千両茶は、竹の葉と篾で巻いた長い円柱の形で、持ち運びと長期熟成のために生まれました。同じ辺銷の文化圏にあっても、量と役割は茯茶とは異なります。
今回は、茯茶の歴史と製法を軸に、安化黒茶の三つの柱(三尖・磚茶・花巻)を整理します。安化の天尖、益陽茶廠の千両茶餅、2007年の建廠五十周年紀念茯磚を、同じ枠組みのなかで比べます。
1. 茯茶の歴史 – 涇陽から安化、益陽へ
茯茶は黒茶の一種で、磚(れんが)状に緊圧したものを茯磚茶と呼びます。名前の由来には諸説あり、伏天(夏)に加工したから、効能が茯苓に似るから、などと語られます。西北地域の食生活と深く結びついたお茶で、牛羊肉や乳製品の多い土地では、「宁可三日无粮,不可一日无茶(三日糧なくとも忍べど、一日茶なくば耐え難し)」と言われるほど、毎日の暮らしに欠かせないものでした。
おおむね清代初期(17世紀半ばごろ)から1950年代まで、茯茶の加工拠点は陝西・涇陽にありました。湖南(とくに安化周辺)で作った黒毛茶を北へ運び、涇陽の水と気候、手筑の技で磚にし、発花させます。茶馬互市・辺銷茶の流れです。原料は湖南、仕上げの「茯茶らしさ」は涇陽、という分業が長く続きました。
近代に入ると、状況が変わります。ここで登場するのが、安化出身の農学者で茶業家の彭先沢(ほう・せんたく、1902–1951)です。日本の九州帝国大学で農学を学び、帰国後、抗日戦争期に湖南省茶葉管理処の副処長として郷里の茶業再建に当たりました。のちの白沙溪茶廠の創始者で、「中国黒茶理論の父」とも呼ばれます。1939年、彭先沢らが安化で黒磚茶の压制(圧縮成形)に成功し、湖南の緊圧茶の近代が始まります。それまで安化の黒毛茶は、多くが涇陽へ運ばれて磚茶にされていました。「安化では磚茶ができない」という通説を覆した出来事です。1953年には安化で手筑茯磚(手で突き固めて作る茯磚)の現地試制が成功し、「涇陽でなければ茯茶はできない」という常識も崩れます。1958年前後、安化第二茶廠が益陽へ遷建され、湖南省益陽茶廠となります。茯磚の量産が始まり、国が指定する辺銷茶廠として西北へ供給を続けます。同じころ、陝西側の大規模な茯磚加工は縮小し、生産の中心は湖南・益陽へ移ります。
その後、益陽茶廠は茯磚を本流とし、白沙溪茶廠は花磚・千両・天貢生など、安化黒茶の別の柱も担う形に分かれていきます。茯茶の歴史は安化黒茶の歴史と深く交わりますが、イコールではありません。
– 原料と湖南黒茶の源流 → 安化と深い
– 発花・筑制の技 → もともと涇陽の色が強い
– いまの湘益系茯磚の本流 → 安化系黒毛茶 × 益陽の発花
この三層が、茯茶を読むときの手がかりになります
2. 安化黒茶のなかの位置 – 三尖・磚茶・花巻
安化黒茶は、大きく次の三つに分かれます。
- 三尖(湘尖):天尖・貢尖・生尖。篓に入れる散茶寄りの形状
- 磚茶:黒磚・花磚・茯磚など
- 花巻:千両茶・百両茶など
2-1.三尖(湘尖)

天尖は三尖のいちばん上で、特級および一級の黒毛茶を使います。貢尖は二級、生尖は三級です。三尖のかたちは、清代中期の乾隆年間に整い、道光年間(19世紀前半)には天尖・貢尖が宮中へ納められたとされます。安化黒茶そのものが貢茶になったのはさらに早く、『安化県志』は明洪武23年(1391年)としています。
三尖は、磚茶でも花巻でもありません。黒毛茶を篩分け(筛分)・烘焙・手選別(拣剔)し、竹の篓に踏み入れて仕上げる、散茶寄りの篓装茶です。標準の工程に、茯磚のような発花(金花を育てる工程)は入りません。ただし近年は、意図的に発花させる例もあります。乾隆年間のころ、「西幇」と呼ばれる山西・陝西の茶商が、陝西ルートの官茶取引を扱うなかで、細かな芽葉を選び、等級を分けた上質な安化黒茶として整えた、というのが通説です。文革期に湘尖一号・二号・三号と改称され、1983年以降に天尖・貢尖・生尖の名に戻りました。
販路も、茯磚の「遊牧民族や少数民族の日常茶」とは少し違います。三尖は陝西(とくに関中)を中心に、山西・甘粛・寧夏・内蒙古などへも送られてきました。西北と無縁ではありませんが、貢茶や上質な篓装茶としての性格が強いお茶です。白沙溪の記録でも、計画に基づく配分の量は年数百トン前後の時期が多く、茯磚の辺境向けの大量供給にくらべると、量はずっと少ないです。現在は、国内向けに味わって飲むお茶としても知られています。原料の個性が分かりやすい、上質なお茶です。
当店の安化・高甲渓の天尖は、この三尖にあたります。高馬二渓村の高甲渓で育つ老樹の毛茶を、伝統に近い乾燥で仕上げたお茶です。茯茶や千両茶の原料側を知る入口にもなります。
高甲渓は、安化県田庄郷・大熊山の奥、資水の南にあります。標高は700〜800m前後、雲霧が多く、「林中有茶、茶中有林(林のなかに茶があり、茶のなかに木がある)」と言われる土地です。1979年の製茶学の教科書にも、湖南黒茶の品質は高甲渓と馬家渓の原料が最もよい、と記されています。
2-2.磚茶:黒磚・花磚・茯磚など

磚茶は、黒毛茶を蒸して磚(板状の塊)に固めたものです。安化黒茶では、黒磚・花磚・茯磚などが代表です。黒磚は、1939年に彭先沢らが安化で压制に成功した、湖南の緊圧茶の近代の出発点です。花磚は、1958年に白沙溪茶廠が千両茶に代わるものとして開発した、四辺に花紋のある磚です。このなかで、発花によって金花を育てるのが茯磚です。
茯茶は金花を特徴とするお茶の総称で、磚形に固めたものが茯磚です。現在の流通の中心は茯磚のため、ほぼ同じ意味で使われることも多くあります。同じ湖南黒茶の毛茶文化を共有しながら、標準工程として「発花」で金花(冠突散囊菌)を育てるのが茯茶です。
「茶好金花開、花多茶質好(茶がよければ金花が開き、花が多ければ茶質もよい)」と言われ、金花の多少と健全さが、品質を語るときの目安になってきました。三尖などで発花させる例がある現在も、発花を本義とするのは茯茶です。
茯磚は、国が指定した辺銷茶として量産されてきた、遊牧民族や少数民族の日常茶でもあります。益陽茶廠だけでも、建廠以来六十余年で辺境へ60万トンを超える茯磚を供給した、と茶廠側は説明しています。いまも湖南の辺銷茶の供給は年15,000〜20,000トン規模で、新疆だけでも年約8,000トンの消費がある大きな市場です。新疆の販売店では、湘益の磚茶を子どものころから飲んで育った、という声が聞かれます。
2-3. 花巻 – 千両茶・百両茶など

花巻は、もうひとつの固形茶の形です。蒸した黒毛茶を蓼葉や粽葉で包み、竹篾で固く巻き、長い円柱に仕上げます。見た目が花を巻いた軸のように見えることから、花巻と呼ばれます。重量で呼び分けられ、代表が千両茶です。清代の単位で約千両、現在の単位に換算するとおおよそ36kg前後、高さは1.5mほどの大きな柱状茶です。百両茶や十両茶など、より小さな花巻もあります。
千両茶は、辺境へ運ぶときの持ち運びやすさと、大きな塊としての長期熟成を両立させるための形でした。磚茶が「板」だとすれば、花巻は「柱」です。茯磚が発花で個性を出すのに対し、千両茶は巻制(竹で巻いて固めること)と年月による熟成が中心になります。一本が約36kgの手仕事の大型茶で、白沙溪茶廠では1952〜1958年に累計約48,000本を作ったあと、長いあいだ、機械で作る花磚に代わりました。1990年代後半以降、伝統の手仕事による千両茶が再び作られるようになっています。
近年の主な販路は、広東・香港・台湾・東南アジアが中心です。歴史的には山西・寧夏・陝西などへ配分された時期もありますが、西北の日常茶の本流は茯磚でした。花巻も辺銷の文化圏のなかで育った固形茶で、西北と無関係ではありません。違いは、供給量と、日常茶としての結びつきの強さです。茯磚の辺境向けの大量供給にくらべると、千両茶の量はずっと少ないです。
三尖は篓装の上質なお茶(貢茶・関中など)、千両は大型の花巻(運搬と熟成)、茯磚は量産の日常茶(遊牧民族や少数民族の必需茶)という整理になります。同じ安化黒茶から生まれても、三尖・磚茶・花巻では形も役割も異なります。
3. 茯茶の製造方法 – 再度の渥堆
茯茶の製法でいちばん大事なのは、発酵を一度で終わらせないことです。毛茶をつくる段階で渥堆(茶葉を積んで発酵させる工程)を行い、磚に仕上げる精制の段階でもう一度、汽蒸(蒸気蒸し)と渥堆を行います。安化黒茶は初制と精制の両方で渥堆を行い、できたあとも倉庫での保管中に発酵が続いていくとされています。茯茶は、そのうえでさらに「発花」が加わるお茶です。
工程は大きく二つです。
3-1.初制 – 黒毛茶(荒茶)をつくる
天尖も茯磚も千両茶も、出発点は黒毛茶です。
- 摘採:茶摘み
- 殺青:熱を加えて青臭さを止め、酵素の働きを抑える
- 初揉:葉を揉み、形を整え、汁を出しやすくする
- 渥堆(一回目):積み込み、保湿しながら微生物発酵を進める
- 復揉:渥堆でゆるんだ葉の形をもう一度整え、細胞を破って内質(香りや味わい)を出す
- 乾燥:伝統では七星灶と松の薪を使うが、現在は電気乾燥なども増えている
ここでできた黒毛茶は、一度乾かして茶倉に入ります。益陽茶廠のような茶廠では、国の原料備蓄庫で一年前後寝かせてから精制に回すこともあります。一回目の渥堆で土台をつくり、乾燥して毛茶になります。
茯磚には普通と特制があり、辺境向けの特制茯磚では、伝統的に三級黒毛茶を主に用いる配合も行われてきました。一方、2000年代以降の内銷(内地・国内市場)向け高級茯茶では、より上質な毛茶を使う流れが強まりました。
3-2.精制 – 再渥堆と発花
茯磚の精制は、乾いた毛茶を再び湿らせ、発酵を進めてから磚にします。代表的な流れは次のとおりです。
- 筛分・拼配:等級や茎の量を整え、発花しやすい配合にする。茯磚は詰まりすぎると発花しにくいため、固すぎず緩すぎない締め方と、茎の割合のバランスが重要です
- 汽蒸:蒸気で葉を吸湿・軟化させる
- 渥堆(二回目):蒸した茶を積み込んで発酵を進める(積み込んだ茶葉の山のなかでは温度が自然に上がります)。青臭い香りを抑え、葉色を黄色っぽく変え、味をまろやかにする工程です。茶葉の山の高さと時間を見ながら、熱くなりすぎたら崩して冷ます、といった管理をします
- 加茶汁・再蒸:発花しやすくするため、茎や種の殻などで煮た茶の煮汁を加え、水分を発花に適した状態(おおむね20%前後が目安とされる)に整え、短く二度目の蒸しを行う
- 压制・冷却定型:磚の形状にする
- 発花:専用の発花庫に移す。益陽茶廠では金花酵庫と呼ぶ(かつての老烘房・発花庫)。温度・湿度を管理し、冠突散囊菌(金花)を磚の内部に育てる。おおむね10日前後の発花期のあと、乾燥期に入る
- 乾燥・検査・包装:水分を下げ、金花の状態を見て出荷
二回目の渥堆と発花は、別の工程です。
– 一回目の渥堆(毛茶):黒茶としての土台をつくる
– 二回目の渥堆(精制):乾いた毛茶を再び発酵させ、压制と発花の前に内質を整える
– 発花:渥堆の延長ではなく、磚のなかで金花を優先的に育てる工程
茯茶でいちばん大きな個性は、精制の再渥堆のあと、発花の工程まで進めるかどうかです。金花が立ち、菌香がきれいに出るかどうか。そこが茯茶の中心になります。
千両茶(花巻)の精制は、磚茶とは目的も工程も違います。蒸した毛茶を葉で包み、竹篾で巻いて柱にし、日陰干しや茶倉のなかでゆっくり熟成させます。茯磚のように、専用の発花庫で金花を育てる工程が中心ではありません。大きな塊ほど麹菌による熟成が進みやすいのが、千両茶の特徴です。当店の千両茶餅は、その大きな千両茶をカットした一枚です。
4. 益陽茶廠の転機 – 2007年の国企改制と五十周年
益陽茶廠は、国が指定する辺銷茶廠として、長く茯磚を作ってきた国有企業(国企)でした。
2007年、国企改制により益陽茶廠有限公司となります。国の工場を、株主や取締役会をもつ会社の形に変える改革です。湖南省茶業集団などが支配株主を持ち、従業員も出資して株を持ちました。完全な民営化というより、会社制への転換です。辺境への供給責任は続けつつ、湘益ブランドで、内銷(内地・国内市場)、贈答品、輸出といった自主的な販売を進めやすい体制になりました。
この記念すべき転換の年に益陽茶廠が総力を挙げて作った茯茶が「慶祝建廠五十周年紀念茯茶」です。公式の五十周年式典は2009年に新工場で行われますが、記念茶は国企改制前後の2007年に先出しされています。1kgの正方形磚茶で、数量限定としてシリアルナンバーが付けられています。建廠五十周年を祝い、西北の少数民族や各地の茶商への感謝を込めたものです。箱内には、当時の益陽茶廠の役員で、内銷向け高級茯茶の推進にも関わった文建輝による『茯茶記』(丁亥年秋=2007年秋)が収められています。
当店で扱う茯茶は、発売直後に北京姉妹店が入手し、以来北京で保管してきたものです。北方の比較的乾いた環境で熟成が進んだ、倉歴のはっきりした経歴のお茶です。
5. 味わいの比較 – 天尖で毛茶、千両で花巻、茯茶で金花
まず、安化・高甲渓の天尖で、安化黒茶の毛茶側の骨格を見ます。当店では二種類ご紹介しています。
2009年天尖は、松の薪と七星灶で乾燥した、伝統製法の一本です。柔らかな松煙香と、しっかりした甘味があり、5煎を超えてから、甘味が透明感を増して深くなります。2023年天尖黒針は、同じ高甲渓の老樹を使い、針形に整え、乾燥を松の炭に変えた一本です。稲藁のような軽やかな香り(稻草香)、果実感のある柔らかな酸味、干した龍眼のような甘さがあります。同じ三尖、同じ渓谷でも、形と乾燥の燃料で表情が変わります。茯茶や千両茶の原料側にあたる味を、二通りで比べられます。
つづいて、千両茶餅です。大きな花巻から切り出した塊ならではの深みがあり、年月を経た黒茶の厚みに、微かな花香が乗ることもあります。磚茶とも散茶とも違う、花巻の熟成です。益陽茶廠は茯磚が本流ですが、千両茶も手がけており、当店の2012年千両茶餅(750g)も北京保管のものです。五十周年茯磚とあわせると、同じ茶廠の磚茶と花巻を、同じ北方保管の条件で比べられます。
最後に、茯茶です。柔らかな木質系の香りと、清らかな菌花香(金花に由来する、花のように清らかな香り)があります。茶水は透明感のある明るい褐色で、柔らかく穏やかな甘味と深い滋味、奥行きのあるミネラル感が続き、余韻が長く残ります。同じ湖南黒茶から生まれても、三尖・花巻・茯磚では、形も役割も味も違います。
花巻も磚茶も、西北へ向かう辺銷の道、ひいては万里茶道とつながるお茶です。

湖南省益陽茶廠 慶祝建廠五十周年紀念茯磚(2007年/北京保管)
広西の六堡茶が「茶船古道と生・熟」で分かれたように、湖南では「安化の毛茶文化」と「益陽の発花」、そして「花巻の巻制」が重なって、黒茶の姿をつくっています。歴史を知って飲むと、金花の粒も、千両の竹篾の痕も、見え方が変わります。
※ 10月のワークショップでは、実際の製茶の現場のお話もしましたが、この記事では触れていません。



